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子供が生まれてからというもの、映画を観ると言えば「アニメ・ヒーロー」ものだった。
下の息子が学齢期になり、家族全員で初めて観た邦画は「風が強く吹いている」。2時間を超える作品であったが、爽やかな青春ストーリーは子供たちを飽きさせることなく最後まで楽しませた。 致命的な故障でエリートランナーの道が断たれたハイジと、暴力事件を起こし陸上競技の場から遠ざかっていた天才ランナーのカケル、そして陸上初心者の8人が、無謀とも思える寛政大学「箱根駅伝」初出場を目指す。フツーの若者たちが走ることによって、自らの限界に挑み、仲間を信じ、夢の切符を手にした。新春の東海道箱根路を、さまざまな想いが込められた襷をつなぐために走る。走る意味と、各々が胸に抱える想いを重ね合わせた若者たちの汗と涙が、爽やかな感動を誘った。 この映画の見せ場は、何と言っても忠実に再現された箱根駅伝のレースそのものだろう。迫真の演技=走りを見せた俳優陣も然ることながら、練りに練られたレースシーンはスケールも大きく、実際の大会以上の迫力で映し出された。 リアリティを追求した映像は、寛政大学とともにレースを彩る架空のライバル大学の「ユニフォーム=サイン」であることに気付かせる。箱根の常連校を彷彿させる架空大学のカラーリングが、ロケの映像と実際の箱根駅伝の映像を繋ぎ合わせても矛盾することなく、自然な流れでレースの緊迫感を作り出していた。風景の中に散りばめられた架空大学ののぼりや横断幕のカラーに既視感を覚え、虚構と現実の世界の境界を失くしてしまう効果は、一重に「サイン」が担っている部分も大きかったように思う。 映画の余韻も醒めぬうちに、今年も箱根駅伝を迎えた。箱根路を沸かせた「山の神」に魅了されたことは記憶に新しい。図らずも、現実の大会も幾多の感動に溢れている。走るという単純なスポーツだからこそ、多くのドラマが込められている気がしてならない。 鈴木 一成(関東地区) 風が強く吹いている 原作:三浦しをん 監督・脚本:大森寿美男 主な出演者:小出恵介/林遣都ほか 公開年:2009年
「バグダッド・カフェ」といえば給水タンク、給水タンクといえば「バグダッド・カフェ」を思い浮かべるくらい、パーシー・アドロン監督のこの作品で、給水タンクは見る者に「バグダッド・カフェ」のビジュアルイメージを植え付けた。
ところはアメリカ、ラスベガスに近いモハーベ砂漠。ハイウェイ沿いに一軒のカフェ(モーテル、ガソリンスタンドも兼業)がある。 その名は「バグダッド・カフェ」 ギスギスした黒人の女主人ブレンダはいつもイライラしている。周りの者があまりにもやる気がないからだ。 しかし、「バグダッド・カフェ」は成りたっている。砂漠の中で競合相手がないという理由で。 そんなさびれかけのカフェに、ある時謎のドイツ人が一人で荷物を引き引きやって来る。 彼女の名はジャスミン。アメリカを旅行中、夫と喧嘩したあげく、砂漠の中でひとりになった。物語はここから始まる。 ジャスミンは「バグダッド・カフェ」のモーテルに泊まり、やがて根が生えたように居着いてしまう。崩壊寸前の店を放ってはおけなかった、というより彼女はもともと勤勉なたちなので、自分の居所をキレイにしたかったのだ。 カフェの事務所を始め、そこいら中を掃除しまくる彼女だが、その最たるターゲットが敷地の中にある大きな給水タンクだ。ジャスミンは梯子までかけて給水タンクをモップで磨き上げる。 この印象的なシーンは映画のスチールとなり、また大ヒットした主題歌“Calling You”を含むサントラ盤アルバムのジャケットにもなっている。 話は逸れるが、このテーマ曲“Calling You”は映画よりずっとヒットした。砂漠の中、ゆらゆら立ちのぼるかげろうとともに流れるハーモニカのメロディーは、原題「遙かローゼンハイムを離れて」にぴったりと、郷愁を誘う。 そして、室内に漂う繊細なグノーのアベ・マリアのピアノもいい。良き映画に良い音楽は付きもの、とはこのことだろう。 ところで、給水タンクだが、真っ青な空と対比するように黄色くペイントされ“BAGDAD CAFÉ”の大きな文字がアウトラインで描かれている。この映画は砂漠を背景としているせいか、給水タンクに限らず、砂に転がるさまざまなモノがオブジェとしてチャーミングな効き味を出しているのだが、その中で一段と存在感のあるでっぷりした形のタンクは、まさに主人公ジャスミンのふくよかな姿と重なる。 よくよく映像を追っていくと、重要な場面の端々にタンクがおさまり、ただの小道具ではないことがわかるのだ。 「バグダッド・カフェ」における給水タンクとは何か? カサカサに乾いた女主人ブレンダの心を癒し、風化しそうなカフェやそこに居座る住人の心を潤し、砂漠を行き来する退屈なドライバーたちの心を満たしたのは、ジャスミン、そして彼女の行動に他ならない。 給水タンクは、人々が渇望していたものの象徴であるとともに、それをもたらした「すばらしいドイツ人」を表す“サイン”なのであった。 宮崎 桂(関東地区) バグダッド・カフェ 1987年 西ドイツ映画 監督:パーシー・アドロン(ミュンヘン出身) 原題:Out of Rosenheim アメリカ版、日本版の題名:BAGDAD CAFÉ *ドイツ人監督パーシー・アドロンがつくった「バグダッド・カフェ」は、ドイツとアメリカという視点で見るとおもしろいです。たとえば・・・ ・なぜ主人公ジャスミンはドイツ人なのか?きれい好きで勤勉なドイツ人がカフェを救った。 ・それに比べアメリカ人はやる気がない。カフェの黒人女主人を始め役者崩れの絵描きや入れ墨師女 などのアメリカ人の人種と描き方。 ・ギスギスの女主人とふくよかなジャスミンの対比。余裕が違うことを見せた。 ・ドイツとアメリカのコーヒーの違い。 ・アメリカのコーヒーマシーンはすぐ壊れるが、ドイツ製ポットはどこまでも優秀だ。 ・グノーのアベ・マリアは、もとは偉大なドイツの作曲家バッハの平均率クラビア第1番である。 ・ご当地ラスベガスのショーよりジャスミンのマジックショーの方が人気だ。あえてショービジネス の本場でドイツ人にマジックをさせた。 ・ドイツ人は友情に厚く、人を裏切らない。(ジャスミンはバグダッド・カフェに戻ってきた) などなど、おそらく「ジャスミン」という名前も「バグダッド」も何か隠された意味があると思います。
映画の中のサインと言えば、ネオンサインでしょ。LEDも良いけれど西部劇での居酒屋や中華街でのネオンサインの醸し出す雰囲気は何とも言えないものがあります。 荒くれ者が一杯やってる背景にネオンサイン。最高の雰囲気ですね。 ネオンサインがセットに使われている映画は枚挙に暇はないのですが、最近観た「トランスフォーマー リベンジ」も作品冒頭の上海工場はメーキングによればペンシンバニア州ベスレヘムの今は使われていない工場なのですが、漢字表記のネオンサインが中国上海だなと思わせる役割を十分に果たしています。このサインが無ければ多分中国の工場だぞという設定も分からなくなってしまう。そういう映像効果がありますね。しかもネオン文字だから雰囲気もバッチリ。 ネオンサインに限らず、映画の中でのサインの役割は観る人が気づいてないけど、今観ている場所が何処だよという効果を担っているんですね。やはりサインの力はすごいです。
前田英幸(九州地区) 題名 TRANSFORMERS REVENGE OF THE FALLEN 製作年2009年 アメリカ マイケル・ベイ監督 中学生の時見た初恋映画である。その淡い気持ちと、特定の音に対して恐怖感を持った映画です。淡い気持ちとは、主演のミリー・パーキンスに対して。音に対しての恐怖感とはドイツ・ナチスの警察のサイレンです。 物語は、ドイツ第2次大戦下。ユダヤ人家族のアンネフランク家族は、ユダヤ人狩りから逃れてオランダ人の家の屋根裏に潜んでいた。物音ひとつたてられない生活にも慣れだし暮す日々だったが、いつも警察のサイレンの音がなると家族は緊張した。あるとき建物の下に警察の車がサイレンを鳴らし停車した。そして、密告により屋根裏を見つけられ強制収容所へ連行されていく。その静寂とサイレンの音が、恐怖になり、ドイツ映画でナチスのサイレン音がなるのが怖かった。音はきわめて個人の印象に左右される類例のひとつと思っている。 警察・救急車の音サインは、国により様々である。アメリカ映画の警察の音はアクション映画の影響か、期待感さえ感じられる音に聞こえる。日本では、伝統的に一音で、例えば鐘の音「ゴーン」、駅の発車ベルも以前は「ジーン」であった。救急車も「ウーン」であったが、近年「ピポピポ」となっている。 これを標準化すると、映画の個性がなくなるようにさえ感じる。警察・救急車のサイレン音でその国の音文化がわかるかもしれない。 山口 泰(関東地区) アンネの日記 1959年製作 監督ジョージ・スティーヴンス 出演新人ミリー・パーキンス
私が父に連れられて生まれて初めて映画館で観た作品は、ジョージ・ルーカス監督の「スターウォーズ エピソードⅣ」でした。スターウォーズは現在全6作品で完結しており、最初に公開されたものが原作で4番目のエピソード、以後エピソードⅤ、Ⅵと公開されました。時を経てストーリー展開が過去に遡り、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの製作が後になった理由は、特撮技術が近年になりようやくルーカス監督の思い描く世界を実現できるようになったからということで、監督が温めていた構想が永年かけて遂に実現した形です。
この映画の日本公開が1978年でしたから、私が小学1年生の時です。当時の映画館は今のように完全入れ替え制ではなく、途中で入館してそのまま次回の途中まで見るということが度々あったのを思い出します。館内もあまり快適とは言えず、音響が悪かったり、狭いうえに前の人の頭で字幕が読めなかったり、立ち見や通路に座り込んでの観賞も、人気映画では当たり前のことでした。しかし今でも記憶に残っている映画は、そういった不快な感覚を伴っている作品のほうがむしろ多いのが不思議です。現在のようにCGや音響がリアル過ぎる映画を快適な館内でくつろいで楽しむことは、かえって記憶に残らない娯楽と化しているのかもしれません。 話をスターウォーズに戻します。この映画、未来の宇宙戦争を描いた作品ですが、実はサインは一つも出てきません。ブレードランナーやBack to the Futureのように近?未来を舞台にした作品には、技術や文明の進化を見越して描かれた情景のなかにサインというものが必ず存在し、私たち業界関係者が注目するシーンが出てきます。私たちの世界では今も未来もサインは存在するものと思い込んでいますが、あまりにも果てしない未来の銀河系の彼方には、もしかしたらサインなど一切存在し得ない世界があるのかもしれません。この作品に唯一サインらしきものがあるとすれば、冒頭に流れるオープニングロールです。 宇宙の彼方に流れ去るあの字幕は、行進する軍隊、飛来する宇宙船を連想させる以外に、無限の宇宙空間において、まず観客にスケール感を与える役目を果たすサインのようにも私には見えるのです。 小野利器(関東地区) ![]() 作品;スターウォーズ エピソード4/新たなる希望 配給;20世紀フォックス 1977年公開 監督・脚本・製作総指揮;ジョージ・ルーカス 出演;マーク・ハミル、ハリソン・フォード、他 ![]() サインを記号として捉えた場合、わたしが印象に特に残っている映画はベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」です。中国で最後の皇帝(エンペラー)の一生を描いた物語で、中国の最高権威であった始皇帝が世界大戦や日本の植民地化、文化大革命などを得て、晩年には一清掃夫として人生を終える実話を描いた映画です。その中で一番気になったのはラストエンペラーが晩年、大衆の世界で生きていくとき、番号をつけた服を着ているシーンでした。かつてエンペラーであった主人公は「名前」=「象徴」で呼ばれていましたが、数をつけられることで、マスのなかの一人になり、ただの人になったことが象徴的に描かれておりました。数字や記号を用いることで、代替不可能な個人の存在が、一個の凡庸な存在になってしまうことが表現され、名前や記号、数字を日々扱うサインデザイナーである私にとって、とても印象に残りました。中国で行われた文化大革命では偶像崇拝を禁止し、社会主義の名のもと、市民は人民服に一人一人が人民服に身を包み、個性が消えた時期がありました。それでも人間はどうしても神や国王を求めてしまうようです。現在、紫禁城の前にはエンペラーの代わりに毛沢東の写真が掲げられて、象徴として人民を統治しております。映画のラストシーンで、主人公がかつて慣れ住んだ紫禁城に行き、入口で入場料を支払います。貨幣を支払う=数値化されたことが象徴的に表現されたシーンで映画の幕は閉じます。 八島紀明(関東地区) 作品:ラストエンペラー(第60回アカデミー賞 作品賞) 配給:コロンビア映画 1987年公開 監督:ベルナルド・ベルトリッチ 出演:ショーン・ローン ジョアン・チェン ピーター・オトゥール 坂本龍一 ![]() 映画についてのサインと言うと直ぐに頭に浮かんだのが「ブレードランナー」近未来の設定だがサイン関係はアジア的と言うか日本的要素がかなり取り入れられていてそれがまた映画の設定の荒廃した近未来をよりリアリティを醸し出す事に一役かっていると思います。 多分テクノロジー=日本という事でこんな演出になったのか?外国から見たアジア(特に日本)がうまく取り入れられた映画だと思います。 近未来=人口増加=自然消滅でゴミゴミした街の中でネオンサインが良く出てきます。 映画自他が薄暗い感じなので、ネオンサインをうまく使った最初の?SF映画じゃないかと 思います。 ネオンサインは使い方によって華やかさ(例えばラスベガス等)も演出することに使えますが 場末の酒場等(ブレードランナーでは良く出てくる)にあると華やかさと言うよりチープ(安っぽさ)さが感じられてこの映画になくてはならない存在になっています。 他にも宇宙船で「大型ビジョン」でコマーシャルが流れたり、人口が多い都市部での広告手段などは現代を先取りしていて面白いと思います。 最近新宿で大型ビジョン設置されているのを見て広告手段はあまり昔と代わり映えしていない感じがしたが、3D映像などは映画でよく出てくるので近いうち3D映像広告が出るのを 楽しみにしています。近未来映画で見たサインや広告手段が実現される可能性が高いとこの映画を見て改めて感じました。 伊藝 博(沖縄地区) 監督:リドリー・スコット 製作総指揮:ブライアン・ケリー/ハンプトン・ファンチャー 製作:マイケル・ディーリー 脚本:ハンプトン・ファンチャー/デイヴィッド・ピープルズ 出演者:ハリソン・フォード/ルトガー・ハウアー/ショーン・ヤング 配給:ワーナー・ブラザース映画 公開:1982年6月25日 上映時間:117分 ![]() 自分の手がけたものが、映画の中にも登場するというのは格段の喜びのひとつである。しかも、それがエキストラ的な役回りではないとすれば。 「Lost in Translation」という作品は、CMの撮影のために日本へやってきた中年ハリウッド俳優・ボブと、カメラマンである夫の日本での仕事のために連れ立って来た新婚の若い女性・シャーロットとの間で共通に芽生える、繊細で微妙な、日々の中で何かが欠けてしまった感覚を(淡い恋心を含めて)描いたものである。二人とも日本に来るのは初めてで何もかもが目新しく(馴染めず)、そこから生じる、澱のように募る孤独感や疎外感に襲われつつ、ギリギリのところでつま先立ちを続けるような、そんな危うい心の機微を捉えている。 シャーロットは、夫の仕事が忙しく、滞在しているホテルにほとんど置き去りにされてしまう。仕方がなく東京の街を彷徨ってみたりするのだが、言葉も通じず、目にするものにも違和感を少なからず感じ、ますます虚無感を強めていってしまう。 彼女が地下鉄に乗るシーンがあるのだが、そこにごくわずかの時間ではあるが当時掲出されていた営団地下鉄の路線図が登場する。実は、これは私がそのデザインを担当したものである。彼女はこれに眼を落とすも、初めての日本での言葉や文化の壁、東京という街の活動的ながらもドライな雰囲気、連日増してゆく孤独感なども手伝って、途方に暮れて戸惑いを隠せない様子である。東京の地下鉄は複雑に線が張り巡らされ、路線図に表現するとそれはあたかも迷路のように見えるのかもしれない。 ここでは、あらゆる情報や現象や文化が複雑に絡み合って構成されている「東京(あるいはトーキョー、TOKYO)」という街の象徴として、この路線図がモチーフとなっているようにも思える。結果として言えば、この路線図が情報源という意味のサインとしてあまり役に立っていないということなのかもしれないが(苦笑)、自分の手がけたものが外国人から見る「東京の顔」となった瞬間をそこに感じ、初見した際は気分の高揚を禁じ得なかった。 本作品にはこのほかにも新宿や渋谷・代官山などの街並もふんだんに登場し、ネオンサインや店舗の看板類などでひしめく街の様子が、有益無益を問わず情報の洪水と化している現代の「東京」を端的に良く表現している。最後のシーンも首都高速の道路標識が映って終わる。 一方でこのようなサイン類のみならず、出てくる人々や数々のシーンに日本人の特性やそこにあるさまざまな問題も、演出か歪曲か多少の誇張は否めないものの、哀しいくらいコミカルに描かれており、思わず笑って同時に泣ける作品である。 全体として散文詩的で、ビデオクリップを観ているような感覚に近く、実は映画というより映像作品と言った方が適当かもしれない。バックグラウンドで使用されている音楽も、どこか曖昧で不安定さを携えたものが並ぶ。そういった側面も、私の好みに合致する部分が多い。 この作品を観ると、東京という街を映像や写真に撮るとするならば文字(サイン)が写らない場所がない、そんなことも思わせる。すなわち、あらゆる風景の中にサインがある、いやむしろ、サインによって街の表層が形作られているのだとも言えるのではないか。このことが、東京という街の活気やエネルギーを創出している事も確かだが、同時に一種の冷ややかさや虚しさ、豊かであるという貧しさも表しているような気がしてならない。 大塚喜也(関東地区) 「ロスト・イン・トランスレーション」 (Lost In Translation) 公開年 2004年(日本) 製作国 アメリカ 監督・脚本 ソフィア・コッポラ 出演者 ビル・マーレイ スカーレット・ヨハンソン ほか 受賞歴 2004年 アカデミー脚本賞 2004年 ゴールデングローブ賞 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門) ほか
映画の中に出てくる「サイン」や「看板」といえば、すぐに思い浮かぶのは「ブレードランナー」に出てくる「強力わかもと」の電飾サイン(高層ビルの間を漂う感じの、飛行船みたいなやつもありましたね)や、「バグダッド・カフェ」の給水タンクのシーン、「ミリオンダラー・ホテル」のホテルの電飾サイン、あるいは「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊攻殻機動隊」に出てくる九龍城のような町並みなどですね。「攻殻」の続編ともいえる「イノセント」に出てくる北端の街のパレードのシーンも、躍動感があって見事な描写だったと記憶しています。
![]() ほかにも印象的なシーンはあるのですが、今回は映画本編ではなく、「映画タイトル」の話をしたいと思います。デビッド・フィンチャー監督の「パニック・ルーム」です。 「映画タイトル」というのは、物語が始まる時に俳優やスタッフ等の字幕が次々と表示される一連の映像の事ですが、それぞれの作品ごとに独自の演出があって、僕は結構楽しみながら観ています。さて、「パニック・ルーム」のタイトルですが、ニューヨークの実際の高層ビル群のなかに俳優名などの文字が立体になって現れます。ある文字はビルの塔屋サインのように、ある文字はビルの壁を伝い中空に突き出すように。ある文字は広い通りをまたいで隣のビルにまたがって、現実のサインのように現れます。文字の質感や光沢とか、ビルとの距離の取り方とか、本物のチャンネル文字が宙に浮いているようです。最近のCGはどんどんよくなっていますね。(この作品は2002年の作品ですが)爆発のシーンや、人が変身するシーンだけでなく、本来あるはずのない物がそこにあるように、私たちに様々な可能性を見せてくれます。映画を見ながら、もし実際にこんな施工をしてくれる工務店があったなら何としても工事を依頼したい、などど、下らぬ事を考えてしまいました。肝心の本編のほうは、ヒッチコックやブライアン・デ・パルマなどを意識して作られたと思われるサスペンス調の作品で、それほど良い出来だとは思いませんでしたが、タイトルの出来は明らかに本編を上回っていますね。 と、ここまでは褒めましたが、実はこのタイトルには、元になるネタがあるんです。ヒッチコック監督の「北北西に進路をとれ」がそれです。青一色の画面にケーリー・グラントなどの俳優の名前が斜めにパースがついた状態で次々と現れるのですが、やがて背景がビルの壁面に変化します。パースがついた高層ビルのカーテンウォールに俳優名が表示されていたわけです。監督のデビッド・フィンチャーは、映画のみならず、タイトル映像もヒッチコックファンだったのでしょうか。 「北北西」のタイトルをデザインしたのはソール・バスという人です。元々著名なグラフィックデザイナーですが、映画のタイトルデザインを数多く手がけており、「映画タイトルを職業として確立した人物」といわれています。オットー・プレミンジャー監督の「黄金の腕」、ヒッチコック作品の「サイコ」「めまい」、リドリー・スコット監督の「エイリアン」(最初のやつです)などのタイトル映像を手がけています。この原稿を書くためにネットで調べたところ、何と、彼の手がけた映画タイトルや短編映像をおさめたDVDが見つかりました。タイトルは「ソール・バスの世界」。彼の制作した映画タイトルと、そのメーキング映像のほか、付属のブックレットには彼の手になる企業CIなどが収められているようです。AMAZONで見つけました。出版元はよくわかりませんでした。海外でしょうか。¥3,900です。興味のある方は、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。 村山和彦(非会員) 作品:パニック・ルーム 配給:米パラマウント作品(ソニー・ピクチャーズ) 2002年公開 監督:デビッド・フィンチャー 出演:ジョディー・フォスター フォレスト・ウィテカー ジャレッド・レト 他
波乗り、とくれば湘南、湘南とくればサザンオールスターズ。
そうです。このショートドラマに流れるのは、サザンオールスターズの選りすぐりの33の曲。33曲に乗って一話一話が完結しながら連続していきます。曲の題名がストーリーになっているのかといえば必ずしもそうではないのですが、通しで見るとひとつの湘南物語となっています。 サザンのハイなイメージに対してドラマは至ってスロウ。人生こんなに無駄していいのかな?という道草ストーリーともいえるでしょう。 ![]() ドラマはこんなふうに始まります。 ある時どこからともなく一人の若い男が、海辺のボロボロの建物にやってきます。そこは茅ヶ崎、廃業した元レストランの店舗兼住居です。 男は建物をすこしずつ整え、をお店の看板として掲げます。土地柄サーファー目当てのレストランかと思いきや、否、実はサーフボードの看板はストーリーとしてはたいして重要な小道具ではありません。それよりこのドラマで注目すべきは、いつも扉にかかった手書きの「準備中」の札なのです。 頼りない「準備中」の貼り紙こそがこのドラマの上での大きな「サイン」です。 話はいよいよ始まるのかな、準備中のレストランはいつ開業するのかな、と見る者は期待しますが、結局店は開業しないまま最終話までたどりつきます。サクセスストーリーとは正反対のモラトリアムストーリー。 店主(大泉洋)を始め、やってくるお客(登場人物)すべてが人生の「準備中」なのです。 何かをどこかで決定しないまま人生の時間が過ぎていった人、あるいは突っ走ってきた人生の途中で一休みの人、などなど。しかし、誰ひとりとして憎めません。 そうした人たちをウエルカムではないけれど、なんとなく迎え入れてしまうのが、店主の人柄と言えましょう。店主は、波のように何でも包み込んで浄化してしまうような寛容さを秘めているのですが、実は彼自身も過去に傷を負っている・・・(ここがちょっとばかりドラマにはありがちな設定なのですが) 「準備中」だからこそ、何をしても許されるような店の居心地の良さは、所詮身の回りに起こるすべてのことは大騒ぎするほどのたいしたことではない、と思わせるような不思議な包容力をもっています。体ではなく心の傷を癒す湯治場のようです。 人生あくせくしても仕方がない。今日も、明日もずっと準備中でもいいのかも・・・。 おもしろいかおもしろくないか、感じ方はまさに今まで歩んできたその人の人生観しだい。 ・・・ですので、決してお勧めはいたしません。 宮崎 桂(関東地区) the波乗りレストラン(TVドラマ全33話 映画ではありません) 2008年 日テレ開局55年記念+サザンオールスターズ結成30周年記念のスペシャルTVドラマ。DVDあり。 脚本:大宮エリー 出演:大泉洋、布施博、富田靖子、西村雅彦、高橋ひとみ、松下由樹、白石美帆他 http://www.ntv.co.jp/naminori/
若い頃、シアトルに住んでいたことがあり、「Sleepless in Seattle」というタイトルに興味を引かれて、軽い気持ちで映画を見に行きました。しかしストーリーの楽しさや登場人物の個性豊かな表情にすっかり魅了され、これまで何度いえ何百回見たか分かりません。特に終盤のシーンが私の心を射止めています。そのシーンとは、主人公のアニーが自分の心に迷いを感じながらも婚約者ウォルターとNew Yorkの高層ビル最上階のレストランに座り、ドンペリヨンを注文し、心の迷いを打ち明けようとした瞬間、窓から見えるエンパイヤ・ステート・ビルのライトアップが赤いハート型に点灯するのです。その日はバレンタイン・デーで実に気の利いたライトアップだった訳ですが、アニーはまるで神様からのサインを受け取ったかのように感じたのです。そこで「This is a sign」と名台詞を放つのです。エンパイヤ・ステート・ビルには彼女が心引かれるサムと息子のジョナが待っています。指輪を返し婚約者と別れて、サインを感じた男性のもとに走るアニーは映画の中でずっと笑って走っていました。この映画のベースとなっている「めぐり逢い」という映画ではここで悲劇が起こり、主人公が事故にあうのですが、赤いハートのサインを受け取ったアニーにはハッピーエンドが待っていました。女性だったら誰もが共感するストーリーでしょう。ハートウォーミングな結末と、最後に子供ジョナの笑顔でエレベーターが閉まるシーンは、また最初から見たいという衝動に駆られるほどでした。
私は1998年に福岡タワーのライトアップ改善計画に携わりました。コンセプト会議の中で何度もこの映画のワンシーンの話しをしたものです。何気なく照らし出した風景が、それを見た人の人生まで変えてしまうかもしれない。だからこそシンボルになるタワーの照明はメッセージを伝えなければならないと。私は「光はサインである」というコンセプトを持ってライトアップのデザインをしました。実はこのときは本体の照明を素晴しく改善したのであってイルミネーションのデザインはしていません。だから現在のバレンタイン・デーに点灯される格好悪いハートマークは私のデザインではありません。もしも私がハートマークを出すとしたら、洗練されたインターラクティブな暖かいハートを創っていたことでしょう。そのハートで恋が成就することがあったら、照明デザイナーの冥利に尽きることだと思います。 ![]() 松下美紀(九州地区) 1993年 Sleepless in Seattle 邦題 「めぐり逢えたら」 監督・脚本 ノーラ・エフロン 撮影 スヴェン・ニクヴィスト 音楽 マーク・シャイマン 主演 トム・ハンクス、メグ・ライアン レオ・マッケリー監督、ケーリー・グラント主演1957年の名作「めぐり逢い(1957)」がベースにあり、リメイクではないけれど、目前の幸せに迷うキャリアウーマンと、愛する妻に先立たれたシングルファーザーの運命的な恋を描いた、ハートフルな恋愛ドラマ。そこ、ここに名作「めぐり逢い」のエッセンスが散りばめられた美しく心温まる女性にとっては見逃せない映画です。(著者記) 「映画の中のサイン」と聞いてすぐに様々な映画に登場する「旗」の映像が頭に浮かんだ。旗はしばしば歴史映画や戦争映画に登場し、敵味方を区別する。 味方の旗には信念や誇りを抱いたり、敵の旗には権力や結束力を感じて、つい感情を揺り動かされてしまう。 特に、人を鼓舞したり、賞賛を贈ったり、絆を結んだり、勝利や敗北を意味するシーンに登場するとグッとくるものがある。 そんな旗の中でも私が最も印象深いのは、黒澤映画の最高傑作と評されることの多い「七人の侍」に登場する旗だ。 私が好きなこの旗のシンボルは、筆で乱暴に描かれた6つの○と1つの△、その下に書かれた「た」の文字。 その意味は、6人の侍(○)と1人の浪人(△)が農民(「た」)を守るという意味だったと記憶している。 シーンの記憶は正確ではないかもしれないが、シンボルを描く傍らに侍と農民が集まり、そのシンボルの意味を説明すると皆が沸き上がり、三船敏郎扮する菊千代が藁屋根に意気揚々と立てる。そのシーンには笑いと共にジワジワとにじみ出るような喜びがあった・・・という印象で頭に残っている。 決して完成度が高い図柄とは言えない(笑)が、その図柄は勇気がなかった農民に力を与える。 そのシンボルには、侍が農民を守る意思が込められており、真心があって実に暖かい。 もしロゴマーク製作の理想を辿るならば、このシーンにそれが見える気がした。 表現したいことがストレートに描かれたものであって、使う人が誇りを持ち、使うことに喜びを覚えるモノであって、印象深く、どこか暖かい。 なんとなく気に掛かり、「この意味は?」と問いかけたくなるようなデザイン。 実際の仕事では、ロゴマークは最も気を遣わなければならないデザインの一つなのでこう簡単にはいかないが、 難しいことはさておき、版権が許されるならばこのマークでTシャツを作ってもらって、私はそれを着てパリの街を歩いてみたい。 藤井将之(関東地区) 七人の侍 1954年 監督: 黒澤明 出演: 三船敏郎、志村喬、稲葉義男、宮口精二、千秋実
昭和恐慌以来の経済危機である。長引く不況と広告費削減の影響から、街の広告塔は全国的に撤去が進み白板や鉄骨が目立つ。
我が博多中洲もこの大不況の波から逃れることが出来ず惨憺たる状況にあり、中洲と言えば川面に映るネオンがその象徴であった時代は遠い昔のこととなっている。 昔の怪獣映画(最近の作品はあまり見ていない)では、破壊されるミニチュアのビルや看板も忠実に製作されていたように思う。又、逃げ惑う人々の背景にある新宿や銀座などの町並み(もちろん中洲も何度も登場)の看板も当時の経済状況や時代背景を知るうえではおもしろいと思う。 昭和時代のゴジラ作品をはじめとする怪獣映画では、その当時の屋外広告のリーダーカンパニーを映像の中に見つけることが出来る。そういった映画の中での看板の役割は、観る人に街並みへの親近感を醸し出していたと思う。 過去のような屋外広告全盛の再来を願うとともに、幼少に戻って怪獣映画をゆっくり観ながら良き時代を想うこの頃である。 ![]() 前田英幸(九州地区) ゴジラ(シリーズ第一作) 製作年 1954年 製作国 日本
私の祖父は、津の出身です。実は、名匠、小津安二郎監督の母、あさゑさんの兄でありました。小津監督が20歳の時、大正12年(1923年)上京して、松竹キネマ蒲田撮影所に入社できたのは、祖父のつてだそうです。その祖父は終戦後亡くなり、私は祖母からその話を聞きました。祖母は、花柳徳紫という、私の敬愛する立派な舞踊家でした。
私の父は、若い頃から自由人で、役者に憧れ、小津監督に役者になりたいと、鎌倉の家に相談に行き、カメラテストまで受けたそうです。しかしながら、大部屋の苦しい生活に入っていけず、生活の安定の為、銀座松屋に勤めるようになりました。美術が好きだった父は、松屋に勤めながら、絵を描いたり、ステンドグラスのデザインなどをしていました。平野翠鈴という画名も名乗っていました。 ![]() 私の幼い頃の思い出に、日本橋の狭い家の中で、深夜、大きなキャンバスに膠(にかわ)を使って日本画を描いていた、父の後ろ姿を思い出します。何日も徹夜をして、日展などに出品していた事を思い出します。また、銀座、日本橋、神田あたりの喫茶店のステンドグラスは、ほとんどが父の作品で、よく店に連れて行ってもらいました。 私が祖父と小津監督との関係を知ったのは、私が社会に出て働き始め、独立を決心した、27歳の頃でした。それから、小津安二郎監督の映画は、何度も繰り返し見ています。『東京物語』に尾道から上京した老夫婦を原節子が銀座松屋の屋上に連れて行き、東京の風景を見せる場面、日展のポスターのワンシーン、丸の内や銀座のビル群の風景、そして登場する家族たちの人物像、その全てが、私の家族や思い出とリンクしていきます。 私も社会人としてデザイナーになり、小津作品を何度も見ているたびに、私なりの小津作品の芸術論も深まっていきました。 とても容易に解釈しますと、日本人の美意識を探求し、それを人間の永遠的な生と死の物語として結晶させた芸術であると思います。 その一つ一つのシーンが、モダニズムを追求した、美しい絵画のような画面構成であり、登場人物の振る舞いや、台詞も能に通じています。いかに少ない要素で、人の思いや感情を伝える事ができるのか。その実験的なテーマを繰り返し作品にし、挑戦されています。 私の一番好きな作品は、小津監督の遺作となった『秋刀魚の味』です。その中でも、主人公の平山が通う、小料理屋やバーのシーンです。小津映画には、たびたび登場する、飲屋街の看板です。その看板の一つ一つも、小津のデザインによるもので、グラフィックデザイナーの河野鷹思が、松竹宣伝部勤務時代、手伝っていたと言われています。その看板の文字と色彩がとても軽快で、江戸の粋を感じさせます。 小津作品に登場するこうした看板やポスターは、戦後の日本の復興と、平和の幸せの象徴として、小津監督は描いたと私は考えています。 私も自然とデザイナーになり、サインを仕事とするようになりました。 北鎌倉円覚寺に、小津監督のお墓参りに何度か伺った事があります。1990年頃だったと思いますが、その円覚寺で出会ったお坊さんが、私に御朱印帳をつくって下さいました。小津監督のお墓参りから出発した私の御朱印帳は、今5冊目になりました。そして、私が50歳になった時、奈良吉野とのご縁を頂き、東京代官山から、仕事場を移転する事を決意したのでした。 今は、名古屋、東京方面に行く時は、津を経由して行きます。直接会う事のなかった、祖父や、小津監督の故郷の近くに私は導かれました。人生の流れと出会いは本当に不思議です。そして、小津監督の墓標にある『無』の意味と思いを、私も噛み締めています。 ![]() ⓒ松竹株式会社 平野湟太郎(関東地区) 秋刀魚の味 1962年 監督:小津安二郎 キャスト: 笠智衆 岩下志麻 佐田啓二 岡田茉莉子 他
映画のセリフの中で「サイン」とうことばが用いられ、私の耳に深く刻みついた映画があります。
クリント・イーストウッド監督の「許されざる者」という映画です。 かつてオードリーヘップバーンがヒロインをつとめたアメリカ西部劇のリメイク盤で、長くフランシス・フォード・コッポラが脚本の権利を持っていました。 ビリーザキッドのように世に恐れられていたイーストウッドが主人公を演じる老年のガンマンが隠居生活に入っていましたが、ある残虐な事件がおき、かつての仲間と賞金稼ぎの旅にでます。 無事、賞金稼ぎは済むのですが、ストーリーの最後、イーストウッドの相棒が保安官につかまり、鞭でなぶり殺され、バーの入口に「晒し者」にされます。 「賞金稼ぎの末路はこうなってしまうぞ」と死体に「サイン」がつけられ、それを知ったイーストウッドは「A sign on him?」と怒りをあらわにし、敵をとりにいきます。 その時店の店主に「あいつを店の飾り物にしている店主は誰だ?」と主人公が聞きます。店主が「私ですが・・」と答えるとショットガンで即座に射殺してしまいます。 「A sign on him?」、日本語ですと、「店の看板にしているだと!」と訳されると思いますが、イーストウッドの低音の独特な発音な声で発せられた「A sign」という言葉が広義で意味深いものに感じ、いまでも私の記憶から離れないのです。 ![]() 八島紀明(関東地区) 作品:許されざる者(第65回アカデミー賞 作品賞) 配給:ワーナー・ブラザーズ映画 1992年公開 監督:クリント・イーストウッド 出演:クリント・イーストウッド ジーン・ハックマン モーガン・フリーマン リチャード・ハリス アメリカンコミックを原作としたバットマンシリーズ第6作目の「ダークナイト」。実はタイタニックに次ぐ、全米映画史上2位の総興行収入を記録している大ヒット映画です。 (現在「アバター」が次々とタイタニックの記録を塗変えつつあるので、いずれ3位でしょうか・・・) ダークナイトとは、バットマンの別称で「闇の騎士」。(「暗い夜」ではありません) ニューヨークをモデルにした架空都市「ゴッサムシティ」で昼はブルース・ウエインという世界的巨大企業グループ「ウエイン産業」会長を努め、夜になるとマスクと高性能スーツを身にまとって悪と戦うヒーローです。しかしこのヒーロー、蜘蛛に刺されて突然変異しちゃったり、水晶でできた星で生まれたりしていない生身の人間なので、特別な能力を持っていません。バットモービルをはじめとする「バット○○」と名付けられた007 並みの装備をこっそり自社で開発しては、それを武器に戦っているのです。 ここで皆様に紹介したいのが「バットシグナル」。ゴッサム市警の屋上に設置されたサーチライト型の信号灯です。ゴッサムシティで事件が起きると、このバットシグナルが夜空に照射されバットマンが呼び出されるのです。シグナルで映し出されるのは、白い光の正円の中に描かれた、いたってシンプルなコウモリマークだけ。なのに、それが高層ビルの合間から闇に漂う姿は、どこか物悲しくて、たまらなくシュールなのです。まるで、暗い海に静かに光る灯台のようなイメージです。 バットシグナルが放たれた夜は、バットマンの登場に脅えた悪人達の手も止まり、犯罪抑止の効果も上げています。先端技術に囲まれているバットマンなのに、なぜかこのバットシグナルだけは超アナログ的、しかしそこが魅力でもあります。 情報のほとんどが、テクノロジーの媒介によって伝えられている今、こんなサインが実在すれば、情報の伝わり方が、人の心へ、優しく中和されて響くような気がします。 しかし、呼び出したいヒーローが不在の世の中、まずは明日のお天気なんかがぼーっと眺められたら、疲れた夜が、少しだけ癒されるかもしれません。 加藤美香(九州地区) ダークナイト(The Dark Knight ) 監督 クリストファー・ノーラン 製作 クリストファー・ノーラン/ チャールズ・ローヴェン/ エマ・トーマス 脚本 クリストファー・ノーラン/ ジョナサン・ノーラン 出演者 クリスチャン・ベール/ マイケル・ケイン/ ヒース・レジャー/ ゲイリー・オールドマン 音楽 ハンス・ジマー/ ジェームズ・ニュートン・ハワード 撮影 ウォーリー・フィスター 編集 リー・スミス 配給 ワーナー・ブラザーズ
そもそもアニメーションとは原作者や監督・脚本といったスタッフの独自の世界観やストーリーで構成されている場合が多い。
ある意味“非現実的=ウソ”の世界ではあるが、日常を逸脱もしくは過去的だったり未来的だったりするその独特の世界観が共感される要素の一つだと思う。 ことに国民的支持を受けているジブリアニメはそのもっともたる作品だ。 宮崎駿氏が監督を努める作品は基本的にこの世にはありえない世界を描いている。 以前スタジオジブリのスタッフも宮崎駿監督のことを「大ウソツキ」と言っていた(笑) 監督の思い描く世界がまったくの想像上の世界だからだ。 ![]() ところが、そんなウソの世界に登場する時代背景や風景・文化といったものはすべて現実的なものばかり。 トトロはいないけど、昭和30年~40年代の農村風景や鎮守の森・和洋折衷の住宅も確かに存在したし、大人用自転車の三角乗りもやった(笑) イタリアのアドリア海や第一次世界大戦で活躍した飛行艇の存在は現実だけど、豚が飛行艇乗りになった例はない(笑) 中でも私が好きな作品の一つ「魔女の宅急便」 魔女は非現実的だけど舞台設定や風景・小物にいたるまでほとんどがホンモノ。 ジブリによれば、スウェーデンのゴットランド島で徹底的な取材をしたそうだ。 漆喰の壁やテラコッタの赤い瓦・ドーマー・・・街並の風景を見てみると確かにあのランドマークそのものだし、主人公“キキ”が下宿するパン屋さんの鋳物製の突出サインを始め、店舗のオーニング・フラッグ・街灯・ベランダの手摺・消火栓・下水溝のふた、に到るまですべてヨーロッパには存在する。 個人的に「さすが!」と感じたのは、エンドロールに出てくる突出サインのディテールや取付方法。 リベットの位置までこだわってるところには舌を巻いた(笑) そんな細かなところへホンモノを持ってくる宮崎監督のこだわりには素直に共感できるところだ。 “ウソの世界にあるホンモノ” ホンモノがもたらす安心感とウソがもたらす非現実感・・・そのギャップの 面白さが視聴者の共感を得る最大の魅力なのかもしれない。 相蘇裕之(東北地区) 「魔女の宅急便」 アニメーション作品 1989年 原作:角野栄子 制作:スタジオジブリ 監督:宮崎駿 「映画の中の看板・・・」というと、すぐ思い浮かぶ光景がある。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化した「ブレードランナー」の始まりのシーンだ。 時は2019年、退廃的な近未来都市ロサンゼルス、高層ビル群のあちらこちらで炎が吹き上がる、その空中を飛行する車、薬品のニオイがしそうな酸性雨の中、水蒸気がたちこめる街には、巨大広告塔はじめ看板やネオンが氾濫している。それらには、様々な文字があり、多国籍な街らしさが出ているが、日本語もやたらと出てくる。 「強力ワカモト」の広告が流れる巨大広告塔は全面LEDディスプレィ。見通しの悪い、雨煙る夜の街に高輝度に光るLED画像は、異様な雰囲気をかもし出している。そして、宇宙開拓用の人造人間(レプリカント)狩りの使命をおった主人公デッカードが登場する。 未来の話でもありながら、生活臭さをかもしだす、この導入部は、映画を観る人をスムーズに物語の中へといざなうようだ。とくにこの主人公が屋台の寿司バーで麺を注文し、割り箸で食べるシーンが印象的だ。日本語の会話が雑踏音声的に聞こえるのがおもしろいし、広告の内容や音声や文字も何か「オカシイ」。広告映像の日本髪の女性が「いそにすむ~ちどり~♪」(古今和歌集の和歌)と謳っているとか、「コルフ月品」のネオンサイン(ゴルフ用品)やら、そこここに「オカシイ」サインが溢れている。また、「安くてうまい」「東京」「五十年」などの落書きが唐突に画面に現れる。これらは新宿歌舞伎町のイメージを重ね、異国情緒を表したようだが、「看板の氾濫」「無意味な情報の洪水」は、我々サイン業界に身をおく者としては考えさせられる。 昨今、デジタルサイネージが多くなり、ハード的な看板の氾濫は減少傾向にあるのかもしれないが、そのソフト面(コンテンツ)には、相変わらず「押し付けがましい情報の洪水」はないだろうか。テレビ広告をそのまま街角で流されると、とてもウルサク感じる。 デジタル時代だからこそ、なおさら「文字および音声・映像情報に依存しすぎるサインの氾濫」を避ける工夫、知恵が必要なのではないかと思う今日この頃である。 木村英昭(関東地区) 「ブレードランナー」(Blade Runner) 1982年アメリカ映画 監督 リドリー・スコット 脚本 ハンプトン・ファンチャー/デイヴィッド・ピープルズ 主演 ハリソン・フォード 音楽 ヴァンゲリス 1983年度ロサンゼルス映画批評家協会賞 最優秀撮影賞受 1983年度アカデミー賞 視覚効果賞・美術賞ノミネート フランスのジョルジュ・クロードがネオン技術を発明してちょうど100年になる。ネオン産業はかつて経済発展のバロメーターともいわれたが、まさしく高度成長とともに繁栄し、いまや低成長と不況によって息の根を絶たれようとしている。このエピソードは終戦直後、国民が混乱と疲弊から立ち直り、希望を胸に歩み始めたころの話である。ネオンが街を明るく彩り、人々の心に潤いと安らぎの光をともした。昭和24年(1949)、美空ひばりが天才少女として彗星のように現れ、初めて銀幕に登場したのが家城巳代治監督の「悲しき口笛」であった。燕尾服にシルクハットというひばりのおませな女の子姿をスチール写真で記憶している人も多いだろう。 その映画に、当時私の父が経営に携わっていた平和ネオンの文字が映し出されたのだ。 ストーリーは戦災浮浪児の美空ひばりが行方の知れなくなった兄と巡り合うまでの紆余曲折を綴ったものだが、兄妹の邂逅の舞台となるは横浜の繁華街にあるダンスホール「オリオン」である。そのダンスホールの外壁に掲げられたOrionのネオン文字の下に「平和ネオン製」の文字が同じくネオンでくっきりと映し出された。 映画のセットにサインが登場し、その製作にメーカーが協力することはよくあることだ。協力に対しては映画の最終字幕で協賛の名でテロップが流れるのが普通だ。映画に映し出されたネオンサインに添えて製作会社名が表示されるなど前代未聞の珍事ではなかろうか。 当時の詳しいいきさつは知る余地もないが、想像するに映画製作に予算の少なかった当時、助監督が映画に社名を出すことを条件にネオンを無償で提供してほしいと頼んできたのではなかろうか。ダンスホール内には結構派手なネオンサインが輝いている。 ![]() さすがに家城監督は自分の作品に製作会社名が映し出されることを嫌ったのではなかろうか。外壁のシーンは二度登場するが、二度目は手前の街路樹で社名が隠れるようになっているし、一度目のシーンもほんの一瞬で観客には見過ごされてしまう程度のものだ。私自身この映画は昔観ているが判別したのはこの話を聞いた後である。それはビデオ時代が到来し、同じシーンを何度も繰り返して観られるようになった以後のことである。 戦後を代表する映画、美空ひばり初登場の映画に父の携わった会社名が映し出されたことでその後の業界の先駆けを感じるとる思いだ。以後の高度経済成長期、ネオンは映画産業とともに発展した。そのネオンに再び活況を取り戻す日が来てほしいものだ。 小野博之(関東地区) 悲しき口笛 監督:家城巳代治 主な出演者:原保美/津島恵子/美空ひばり 公開年:1949年
昨年末より応募を始めた「シネマ&サイン パラダイス」
この度原稿がみなさまのご協力を得て続々と集まってきました。 いよいよ出版委員会チャンネル「シネマ&サイン パラダイス」のスタートです。 あんな映画こんな映画、思い出深いシーンや、人生を変えるほどの影響力を持った映画など、会員ひとりひとりの視点や思いはさまざまです。 映画とサインがこんなに関わりがあったなんて・・・この企画を始めるまで思いもしませんでした。 気になった映画、気になったサインのシーン、ご自分だったらいかがでしょう? あなたの思いを書き留めてください。 会員のみなさまご投稿お待ちしております。 募集要項はこちら。 SDA出版委員長 宮崎 桂
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