映画の中のサイン
by sda-cinema-p
カテゴリ
information
essey
以前の記事
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
日本サインデザイン協会 SDA出版委員会では映画の中のサインについてのエッセイを広く募集中。
詳しくはこちら




その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
第12話 ロスト・イン・トランスレーション
f0218826_17554897.jpg
自分の手がけたものが、映画の中にも登場するというのは格段の喜びのひとつである。しかも、それがエキストラ的な役回りではないとすれば。

「Lost in Translation」という作品は、CMの撮影のために日本へやってきた中年ハリウッド俳優・ボブと、カメラマンである夫の日本での仕事のために連れ立って来た新婚の若い女性・シャーロットとの間で共通に芽生える、繊細で微妙な、日々の中で何かが欠けてしまった感覚を(淡い恋心を含めて)描いたものである。二人とも日本に来るのは初めてで何もかもが目新しく(馴染めず)、そこから生じる、澱のように募る孤独感や疎外感に襲われつつ、ギリギリのところでつま先立ちを続けるような、そんな危うい心の機微を捉えている。
シャーロットは、夫の仕事が忙しく、滞在しているホテルにほとんど置き去りにされてしまう。仕方がなく東京の街を彷徨ってみたりするのだが、言葉も通じず、目にするものにも違和感を少なからず感じ、ますます虚無感を強めていってしまう。

彼女が地下鉄に乗るシーンがあるのだが、そこにごくわずかの時間ではあるが当時掲出されていた営団地下鉄の路線図が登場する。実は、これは私がそのデザインを担当したものである。彼女はこれに眼を落とすも、初めての日本での言葉や文化の壁、東京という街の活動的ながらもドライな雰囲気、連日増してゆく孤独感なども手伝って、途方に暮れて戸惑いを隠せない様子である。東京の地下鉄は複雑に線が張り巡らされ、路線図に表現するとそれはあたかも迷路のように見えるのかもしれない。
ここでは、あらゆる情報や現象や文化が複雑に絡み合って構成されている「東京(あるいはトーキョー、TOKYO)」という街の象徴として、この路線図がモチーフとなっているようにも思える。結果として言えば、この路線図が情報源という意味のサインとしてあまり役に立っていないということなのかもしれないが(苦笑)、自分の手がけたものが外国人から見る「東京の顔」となった瞬間をそこに感じ、初見した際は気分の高揚を禁じ得なかった。

本作品にはこのほかにも新宿や渋谷・代官山などの街並もふんだんに登場し、ネオンサインや店舗の看板類などでひしめく街の様子が、有益無益を問わず情報の洪水と化している現代の「東京」を端的に良く表現している。最後のシーンも首都高速の道路標識が映って終わる。
一方でこのようなサイン類のみならず、出てくる人々や数々のシーンに日本人の特性やそこにあるさまざまな問題も、演出か歪曲か多少の誇張は否めないものの、哀しいくらいコミカルに描かれており、思わず笑って同時に泣ける作品である。

全体として散文詩的で、ビデオクリップを観ているような感覚に近く、実は映画というより映像作品と言った方が適当かもしれない。バックグラウンドで使用されている音楽も、どこか曖昧で不安定さを携えたものが並ぶ。そういった側面も、私の好みに合致する部分が多い。

この作品を観ると、東京という街を映像や写真に撮るとするならば文字(サイン)が写らない場所がない、そんなことも思わせる。すなわち、あらゆる風景の中にサインがある、いやむしろ、サインによって街の表層が形作られているのだとも言えるのではないか。このことが、東京という街の活気やエネルギーを創出している事も確かだが、同時に一種の冷ややかさや虚しさ、豊かであるという貧しさも表しているような気がしてならない。


大塚喜也(関東地区)




「ロスト・イン・トランスレーション」 (Lost In Translation)
公開年 2004年(日本)
製作国 アメリカ
監督・脚本 ソフィア・コッポラ
出演者 ビル・マーレイ スカーレット・ヨハンソン ほか
受賞歴 2004年 アカデミー脚本賞
    2004年 ゴールデングローブ賞 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)
    ほか
[PR]
by sda-cinema-p | 2010-05-27 17:57 | essey
<< 第13話 ブレードランナー 第11話 パニック・ルーム >>