映画の中のサイン
by sda-cinema-p
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日本サインデザイン協会 SDA出版委員会では映画の中のサインについてのエッセイを広く募集中。
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カテゴリ:essey( 19 )
第19話 風が強く吹いている
子供が生まれてからというもの、映画を観ると言えば「アニメ・ヒーロー」ものだった。
下の息子が学齢期になり、家族全員で初めて観た邦画は「風が強く吹いている」。2時間を超える作品であったが、爽やかな青春ストーリーは子供たちを飽きさせることなく最後まで楽しませた。

致命的な故障でエリートランナーの道が断たれたハイジと、暴力事件を起こし陸上競技の場から遠ざかっていた天才ランナーのカケル、そして陸上初心者の8人が、無謀とも思える寛政大学「箱根駅伝」初出場を目指す。フツーの若者たちが走ることによって、自らの限界に挑み、仲間を信じ、夢の切符を手にした。新春の東海道箱根路を、さまざまな想いが込められた襷をつなぐために走る。走る意味と、各々が胸に抱える想いを重ね合わせた若者たちの汗と涙が、爽やかな感動を誘った。

この映画の見せ場は、何と言っても忠実に再現された箱根駅伝のレースそのものだろう。迫真の演技=走りを見せた俳優陣も然ることながら、練りに練られたレースシーンはスケールも大きく、実際の大会以上の迫力で映し出された。
リアリティを追求した映像は、寛政大学とともにレースを彩る架空のライバル大学の「ユニフォーム=サイン」であることに気付かせる。箱根の常連校を彷彿させる架空大学のカラーリングが、ロケの映像と実際の箱根駅伝の映像を繋ぎ合わせても矛盾することなく、自然な流れでレースの緊迫感を作り出していた。風景の中に散りばめられた架空大学ののぼりや横断幕のカラーに既視感を覚え、虚構と現実の世界の境界を失くしてしまう効果は、一重に「サイン」が担っている部分も大きかったように思う。

映画の余韻も醒めぬうちに、今年も箱根駅伝を迎えた。箱根路を沸かせた「山の神」に魅了されたことは記憶に新しい。図らずも、現実の大会も幾多の感動に溢れている。走るという単純なスポーツだからこそ、多くのドラマが込められている気がしてならない。




鈴木 一成(関東地区)




風が強く吹いている
原作:三浦しをん
監督・脚本:大森寿美男
主な出演者:小出恵介/林遣都ほか
公開年:2009年
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by sda-cinema-p | 2010-08-02 13:14 | essey
第18話 バグダッド カフェ
「バグダッド・カフェ」といえば給水タンク、給水タンクといえば「バグダッド・カフェ」を思い浮かべるくらい、パーシー・アドロン監督のこの作品で、給水タンクは見る者に「バグダッド・カフェ」のビジュアルイメージを植え付けた。

ところはアメリカ、ラスベガスに近いモハーベ砂漠。ハイウェイ沿いに一軒のカフェ(モーテル、ガソリンスタンドも兼業)がある。
その名は「バグダッド・カフェ」
ギスギスした黒人の女主人ブレンダはいつもイライラしている。周りの者があまりにもやる気がないからだ。
しかし、「バグダッド・カフェ」は成りたっている。砂漠の中で競合相手がないという理由で。
そんなさびれかけのカフェに、ある時謎のドイツ人が一人で荷物を引き引きやって来る。
彼女の名はジャスミン。アメリカを旅行中、夫と喧嘩したあげく、砂漠の中でひとりになった。物語はここから始まる。
ジャスミンは「バグダッド・カフェ」のモーテルに泊まり、やがて根が生えたように居着いてしまう。崩壊寸前の店を放ってはおけなかった、というより彼女はもともと勤勉なたちなので、自分の居所をキレイにしたかったのだ。
カフェの事務所を始め、そこいら中を掃除しまくる彼女だが、その最たるターゲットが敷地の中にある大きな給水タンクだ。ジャスミンは梯子までかけて給水タンクをモップで磨き上げる。
この印象的なシーンは映画のスチールとなり、また大ヒットした主題歌“Calling You”を含むサントラ盤アルバムのジャケットにもなっている。
話は逸れるが、このテーマ曲“Calling You”は映画よりずっとヒットした。砂漠の中、ゆらゆら立ちのぼるかげろうとともに流れるハーモニカのメロディーは、原題「遙かローゼンハイムを離れて」にぴったりと、郷愁を誘う。
そして、室内に漂う繊細なグノーのアベ・マリアのピアノもいい。良き映画に良い音楽は付きもの、とはこのことだろう。

f0218826_16415552.jpgところで、給水タンクだが、真っ青な空と対比するように黄色くペイントされ“BAGDAD CAFÉ”の大きな文字がアウトラインで描かれている。
この映画は砂漠を背景としているせいか、給水タンクに限らず、砂に転がるさまざまなモノがオブジェとしてチャーミングな効き味を出しているのだが、その中で一段と存在感のあるでっぷりした形のタンクは、まさに主人公ジャスミンのふくよかな姿と重なる。
よくよく映像を追っていくと、重要な場面の端々にタンクがおさまり、ただの小道具ではないことがわかるのだ。

「バグダッド・カフェ」における給水タンクとは何か?
カサカサに乾いた女主人ブレンダの心を癒し、風化しそうなカフェやそこに居座る住人の心を潤し、砂漠を行き来する退屈なドライバーたちの心を満たしたのは、ジャスミン、そして彼女の行動に他ならない。
給水タンクは、人々が渇望していたものの象徴であるとともに、それをもたらした「すばらしいドイツ人」を表す“サイン”なのであった。




宮崎 桂(関東地区)


バグダッド・カフェ
1987年 
西ドイツ映画
監督:パーシー・アドロン(ミュンヘン出身)
原題:Out of Rosenheim
アメリカ版、日本版の題名:BAGDAD CAFÉ

*ドイツ人監督パーシー・アドロンがつくった「バグダッド・カフェ」は、ドイツとアメリカという視点で見るとおもしろいです。たとえば・・・
・なぜ主人公ジャスミンはドイツ人なのか?きれい好きで勤勉なドイツ人がカフェを救った。
・それに比べアメリカ人はやる気がない。カフェの黒人女主人を始め役者崩れの絵描きや入れ墨師女 などのアメリカ人の人種と描き方。
・ギスギスの女主人とふくよかなジャスミンの対比。余裕が違うことを見せた。
・ドイツとアメリカのコーヒーの違い。
・アメリカのコーヒーマシーンはすぐ壊れるが、ドイツ製ポットはどこまでも優秀だ。
・グノーのアベ・マリアは、もとは偉大なドイツの作曲家バッハの平均率クラビア第1番である。
・ご当地ラスベガスのショーよりジャスミンのマジックショーの方が人気だ。あえてショービジネス の本場でドイツ人にマジックをさせた。
・ドイツ人は友情に厚く、人を裏切らない。(ジャスミンはバグダッド・カフェに戻ってきた)
などなど、おそらく「ジャスミン」という名前も「バグダッド」も何か隠された意味があると思います。
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by sda-cinema-p | 2010-07-22 16:49 | essey
第17話 トランスフォーマー リベンジ
映画の中のサインと言えば、ネオンサインでしょ。LEDも良いけれど西部劇での居酒屋や中華街でのネオンサインの醸し出す雰囲気は何とも言えないものがあります。 荒くれ者が一杯やってる背景にネオンサイン。最高の雰囲気ですね。 ネオンサインがセットに使われている映画は枚挙に暇はないのですが、最近観た「トランスフォーマー リベンジ」も作品冒頭の上海工場はメーキングによればペンシンバニア州ベスレヘムの今は使われていない工場なのですが、漢字表記のネオンサインが中国上海だなと思わせる役割を十分に果たしています。このサインが無ければ多分中国の工場だぞという設定も分からなくなってしまう。そういう映像効果がありますね。しかもネオン文字だから雰囲気もバッチリ。 ネオンサインに限らず、映画の中でのサインの役割は観る人が気づいてないけど、今観ている場所が何処だよという効果を担っているんですね。やはりサインの力はすごいです。



前田英幸(九州地区)



題名 TRANSFORMERS REVENGE OF THE FALLEN
製作年2009年 アメリカ
マイケル・ベイ監督 
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by sda-cinema-p | 2010-07-21 20:27 | essey
第16話 アンネの日記

中学生の時見た初恋映画である。その淡い気持ちと、特定の音に対して恐怖感を持った映画です。淡い気持ちとは、主演のミリー・パーキンスに対して。音に対しての恐怖感とはドイツ・ナチスの警察のサイレンです。
物語は、ドイツ第2次大戦下。ユダヤ人家族のアンネフランク家族は、ユダヤ人狩りから逃れてオランダ人の家の屋根裏に潜んでいた。物音ひとつたてられない生活にも慣れだし暮す日々だったが、いつも警察のサイレンの音がなると家族は緊張した。あるとき建物の下に警察の車がサイレンを鳴らし停車した。そして、密告により屋根裏を見つけられ強制収容所へ連行されていく。その静寂とサイレンの音が、恐怖になり、ドイツ映画でナチスのサイレン音がなるのが怖かった。音はきわめて個人の印象に左右される類例のひとつと思っている。
警察・救急車の音サインは、国により様々である。アメリカ映画の警察の音はアクション映画の影響か、期待感さえ感じられる音に聞こえる。日本では、伝統的に一音で、例えば鐘の音「ゴーン」、駅の発車ベルも以前は「ジーン」であった。救急車も「ウーン」であったが、近年「ピポピポ」となっている。
これを標準化すると、映画の個性がなくなるようにさえ感じる。警察・救急車のサイレン音でその国の音文化がわかるかもしれない。


山口 泰(関東地区)




アンネの日記
1959年製作
監督ジョージ・スティーヴンス
出演新人ミリー・パーキンス
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by sda-cinema-p | 2010-06-28 11:49 | essey
第15話 スターウォーズ エピソードⅣ
私が父に連れられて生まれて初めて映画館で観た作品は、ジョージ・ルーカス監督の「スターウォーズ エピソードⅣ」でした。スターウォーズは現在全6作品で完結しており、最初に公開されたものが原作で4番目のエピソード、以後エピソードⅤ、Ⅵと公開されました。時を経てストーリー展開が過去に遡り、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの製作が後になった理由は、特撮技術が近年になりようやくルーカス監督の思い描く世界を実現できるようになったからということで、監督が温めていた構想が永年かけて遂に実現した形です。

この映画の日本公開が1978年でしたから、私が小学1年生の時です。当時の映画館は今のように完全入れ替え制ではなく、途中で入館してそのまま次回の途中まで見るということが度々あったのを思い出します。館内もあまり快適とは言えず、音響が悪かったり、狭いうえに前の人の頭で字幕が読めなかったり、立ち見や通路に座り込んでの観賞も、人気映画では当たり前のことでした。しかし今でも記憶に残っている映画は、そういった不快な感覚を伴っている作品のほうがむしろ多いのが不思議です。現在のようにCGや音響がリアル過ぎる映画を快適な館内でくつろいで楽しむことは、かえって記憶に残らない娯楽と化しているのかもしれません。

話をスターウォーズに戻します。この映画、未来の宇宙戦争を描いた作品ですが、実はサインは一つも出てきません。ブレードランナーやBack to the Futureのように近?未来を舞台にした作品には、技術や文明の進化を見越して描かれた情景のなかにサインというものが必ず存在し、私たち業界関係者が注目するシーンが出てきます。私たちの世界では今も未来もサインは存在するものと思い込んでいますが、あまりにも果てしない未来の銀河系の彼方には、もしかしたらサインなど一切存在し得ない世界があるのかもしれません。この作品に唯一サインらしきものがあるとすれば、冒頭に流れるオープニングロールです。
宇宙の彼方に流れ去るあの字幕は、行進する軍隊、飛来する宇宙船を連想させる以外に、無限の宇宙空間において、まず観客にスケール感を与える役目を果たすサインのようにも私には見えるのです。



小野利器(関東地区)

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こんな感じのオープニングロールです。



作品;スターウォーズ エピソード4/新たなる希望
配給;20世紀フォックス 1977年公開
監督・脚本・製作総指揮;ジョージ・ルーカス
出演;マーク・ハミル、ハリソン・フォード、他

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by sda-cinema-p | 2010-06-23 15:34 | essey
第14話 ラストエンペラー
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サインを記号として捉えた場合、わたしが印象に特に残っている映画はベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」です。中国で最後の皇帝(エンペラー)の一生を描いた物語で、中国の最高権威であった始皇帝が世界大戦や日本の植民地化、文化大革命などを得て、晩年には一清掃夫として人生を終える実話を描いた映画です。その中で一番気になったのはラストエンペラーが晩年、大衆の世界で生きていくとき、番号をつけた服を着ているシーンでした。かつてエンペラーであった主人公は「名前」=「象徴」で呼ばれていましたが、数をつけられることで、マスのなかの一人になり、ただの人になったことが象徴的に描かれておりました。数字や記号を用いることで、代替不可能な個人の存在が、一個の凡庸な存在になってしまうことが表現され、名前や記号、数字を日々扱うサインデザイナーである私にとって、とても印象に残りました。中国で行われた文化大革命では偶像崇拝を禁止し、社会主義の名のもと、市民は人民服に一人一人が人民服に身を包み、個性が消えた時期がありました。それでも人間はどうしても神や国王を求めてしまうようです。現在、紫禁城の前にはエンペラーの代わりに毛沢東の写真が掲げられて、象徴として人民を統治しております。映画のラストシーンで、主人公がかつて慣れ住んだ紫禁城に行き、入口で入場料を支払います。貨幣を支払う=数値化されたことが象徴的に表現されたシーンで映画の幕は閉じます。




八島紀明(関東地区)



作品:ラストエンペラー(第60回アカデミー賞 作品賞)
配給:コロンビア映画 1987年公開
監督:ベルナルド・ベルトリッチ
出演:ショーン・ローン
   ジョアン・チェン
   ピーター・オトゥール
   坂本龍一
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by sda-cinema-p | 2010-06-17 22:51 | essey
第13話 ブレードランナー
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映画についてのサインと言うと直ぐに頭に浮かんだのが「ブレードランナー」近未来の設定だがサイン関係はアジア的と言うか日本的要素がかなり取り入れられていてそれがまた映画の設定の荒廃した近未来をよりリアリティを醸し出す事に一役かっていると思います。
多分テクノロジー=日本という事でこんな演出になったのか?外国から見たアジア(特に日本)がうまく取り入れられた映画だと思います。
近未来=人口増加=自然消滅でゴミゴミした街の中でネオンサインが良く出てきます。
映画自他が薄暗い感じなので、ネオンサインをうまく使った最初の?SF映画じゃないかと
思います。
ネオンサインは使い方によって華やかさ(例えばラスベガス等)も演出することに使えますが
場末の酒場等(ブレードランナーでは良く出てくる)にあると華やかさと言うよりチープ(安っぽさ)さが感じられてこの映画になくてはならない存在になっています。
他にも宇宙船で「大型ビジョン」でコマーシャルが流れたり、人口が多い都市部での広告手段などは現代を先取りしていて面白いと思います。
最近新宿で大型ビジョン設置されているのを見て広告手段はあまり昔と代わり映えしていない感じがしたが、3D映像などは映画でよく出てくるので近いうち3D映像広告が出るのを
楽しみにしています。近未来映画で見たサインや広告手段が実現される可能性が高いとこの映画を見て改めて感じました。



伊藝 博(沖縄地区)



監督:リドリー・スコット
製作総指揮:ブライアン・ケリー/ハンプトン・ファンチャー
製作:マイケル・ディーリー
脚本:ハンプトン・ファンチャー/デイヴィッド・ピープルズ
出演者:ハリソン・フォード/ルトガー・ハウアー/ショーン・ヤング
配給:ワーナー・ブラザース映画
公開:1982年6月25日
上映時間:117分

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by sda-cinema-p | 2010-06-04 18:36 | essey
第12話 ロスト・イン・トランスレーション
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自分の手がけたものが、映画の中にも登場するというのは格段の喜びのひとつである。しかも、それがエキストラ的な役回りではないとすれば。

「Lost in Translation」という作品は、CMの撮影のために日本へやってきた中年ハリウッド俳優・ボブと、カメラマンである夫の日本での仕事のために連れ立って来た新婚の若い女性・シャーロットとの間で共通に芽生える、繊細で微妙な、日々の中で何かが欠けてしまった感覚を(淡い恋心を含めて)描いたものである。二人とも日本に来るのは初めてで何もかもが目新しく(馴染めず)、そこから生じる、澱のように募る孤独感や疎外感に襲われつつ、ギリギリのところでつま先立ちを続けるような、そんな危うい心の機微を捉えている。
シャーロットは、夫の仕事が忙しく、滞在しているホテルにほとんど置き去りにされてしまう。仕方がなく東京の街を彷徨ってみたりするのだが、言葉も通じず、目にするものにも違和感を少なからず感じ、ますます虚無感を強めていってしまう。

彼女が地下鉄に乗るシーンがあるのだが、そこにごくわずかの時間ではあるが当時掲出されていた営団地下鉄の路線図が登場する。実は、これは私がそのデザインを担当したものである。彼女はこれに眼を落とすも、初めての日本での言葉や文化の壁、東京という街の活動的ながらもドライな雰囲気、連日増してゆく孤独感なども手伝って、途方に暮れて戸惑いを隠せない様子である。東京の地下鉄は複雑に線が張り巡らされ、路線図に表現するとそれはあたかも迷路のように見えるのかもしれない。
ここでは、あらゆる情報や現象や文化が複雑に絡み合って構成されている「東京(あるいはトーキョー、TOKYO)」という街の象徴として、この路線図がモチーフとなっているようにも思える。結果として言えば、この路線図が情報源という意味のサインとしてあまり役に立っていないということなのかもしれないが(苦笑)、自分の手がけたものが外国人から見る「東京の顔」となった瞬間をそこに感じ、初見した際は気分の高揚を禁じ得なかった。

本作品にはこのほかにも新宿や渋谷・代官山などの街並もふんだんに登場し、ネオンサインや店舗の看板類などでひしめく街の様子が、有益無益を問わず情報の洪水と化している現代の「東京」を端的に良く表現している。最後のシーンも首都高速の道路標識が映って終わる。
一方でこのようなサイン類のみならず、出てくる人々や数々のシーンに日本人の特性やそこにあるさまざまな問題も、演出か歪曲か多少の誇張は否めないものの、哀しいくらいコミカルに描かれており、思わず笑って同時に泣ける作品である。

全体として散文詩的で、ビデオクリップを観ているような感覚に近く、実は映画というより映像作品と言った方が適当かもしれない。バックグラウンドで使用されている音楽も、どこか曖昧で不安定さを携えたものが並ぶ。そういった側面も、私の好みに合致する部分が多い。

この作品を観ると、東京という街を映像や写真に撮るとするならば文字(サイン)が写らない場所がない、そんなことも思わせる。すなわち、あらゆる風景の中にサインがある、いやむしろ、サインによって街の表層が形作られているのだとも言えるのではないか。このことが、東京という街の活気やエネルギーを創出している事も確かだが、同時に一種の冷ややかさや虚しさ、豊かであるという貧しさも表しているような気がしてならない。


大塚喜也(関東地区)




「ロスト・イン・トランスレーション」 (Lost In Translation)
公開年 2004年(日本)
製作国 アメリカ
監督・脚本 ソフィア・コッポラ
出演者 ビル・マーレイ スカーレット・ヨハンソン ほか
受賞歴 2004年 アカデミー脚本賞
    2004年 ゴールデングローブ賞 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)
    ほか
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by sda-cinema-p | 2010-05-27 17:57 | essey
第11話 パニック・ルーム
 映画の中に出てくる「サイン」や「看板」といえば、すぐに思い浮かぶのは「ブレードランナー」に出てくる「強力わかもと」の電飾サイン(高層ビルの間を漂う感じの、飛行船みたいなやつもありましたね)や、「バグダッド・カフェ」の給水タンクのシーン、「ミリオンダラー・ホテル」のホテルの電飾サイン、あるいは「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊攻殻機動隊」に出てくる九龍城のような町並みなどですね。「攻殻」の続編ともいえる「イノセント」に出てくる北端の街のパレードのシーンも、躍動感があって見事な描写だったと記憶しています。

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 ほかにも印象的なシーンはあるのですが、今回は映画本編ではなく、「映画タイトル」の話をしたいと思います。デビッド・フィンチャー監督の「パニック・ルーム」です。
「映画タイトル」というのは、物語が始まる時に俳優やスタッフ等の字幕が次々と表示される一連の映像の事ですが、それぞれの作品ごとに独自の演出があって、僕は結構楽しみながら観ています。さて、「パニック・ルーム」のタイトルですが、ニューヨークの実際の高層ビル群のなかに俳優名などの文字が立体になって現れます。ある文字はビルの塔屋サインのように、ある文字はビルの壁を伝い中空に突き出すように。ある文字は広い通りをまたいで隣のビルにまたがって、現実のサインのように現れます。文字の質感や光沢とか、ビルとの距離の取り方とか、本物のチャンネル文字が宙に浮いているようです。最近のCGはどんどんよくなっていますね。(この作品は2002年の作品ですが)爆発のシーンや、人が変身するシーンだけでなく、本来あるはずのない物がそこにあるように、私たちに様々な可能性を見せてくれます。映画を見ながら、もし実際にこんな施工をしてくれる工務店があったなら何としても工事を依頼したい、などど、下らぬ事を考えてしまいました。肝心の本編のほうは、ヒッチコックやブライアン・デ・パルマなどを意識して作られたと思われるサスペンス調の作品で、それほど良い出来だとは思いませんでしたが、タイトルの出来は明らかに本編を上回っていますね。
 と、ここまでは褒めましたが、実はこのタイトルには、元になるネタがあるんです。ヒッチコック監督の「北北西に進路をとれ」がそれです。青一色の画面にケーリー・グラントなどの俳優の名前が斜めにパースがついた状態で次々と現れるのですが、やがて背景がビルの壁面に変化します。パースがついた高層ビルのカーテンウォールに俳優名が表示されていたわけです。監督のデビッド・フィンチャーは、映画のみならず、タイトル映像もヒッチコックファンだったのでしょうか。
 「北北西」のタイトルをデザインしたのはソール・バスという人です。元々著名なグラフィックデザイナーですが、映画のタイトルデザインを数多く手がけており、「映画タイトルを職業として確立した人物」といわれています。オットー・プレミンジャー監督の「黄金の腕」、ヒッチコック作品の「サイコ」「めまい」、リドリー・スコット監督の「エイリアン」(最初のやつです)などのタイトル映像を手がけています。この原稿を書くためにネットで調べたところ、何と、彼の手がけた映画タイトルや短編映像をおさめたDVDが見つかりました。タイトルは「ソール・バスの世界」。彼の制作した映画タイトルと、そのメーキング映像のほか、付属のブックレットには彼の手になる企業CIなどが収められているようです。AMAZONで見つけました。出版元はよくわかりませんでした。海外でしょうか。¥3,900です。興味のある方は、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。


村山和彦(非会員)





作品:パニック・ルーム
配給:米パラマウント作品(ソニー・ピクチャーズ) 2002年公開
監督:デビッド・フィンチャー
出演:ジョディー・フォスター
   フォレスト・ウィテカー
   ジャレッド・レト 他
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by sda-cinema-p | 2010-05-17 13:33 | essey
第10話 the波乗りレストラン
波乗り、とくれば湘南、湘南とくればサザンオールスターズ。
そうです。このショートドラマに流れるのは、サザンオールスターズの選りすぐりの33の曲。33曲に乗って一話一話が完結しながら連続していきます。曲の題名がストーリーになっているのかといえば必ずしもそうではないのですが、通しで見るとひとつの湘南物語となっています。
サザンのハイなイメージに対してドラマは至ってスロウ。人生こんなに無駄していいのかな?という道草ストーリーともいえるでしょう。
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ドラマはこんなふうに始まります。
ある時どこからともなく一人の若い男が、海辺のボロボロの建物にやってきます。そこは茅ヶ崎、廃業した元レストランの店舗兼住居です。
男は建物をすこしずつ整え、をお店の看板として掲げます。土地柄サーファー目当てのレストランかと思いきや、否、実はサーフボードの看板はストーリーとしてはたいして重要な小道具ではありません。それよりこのドラマで注目すべきは、いつも扉にかかった手書きの「準備中」の札なのです。

頼りない「準備中」の貼り紙こそがこのドラマの上での大きな「サイン」です。
話はいよいよ始まるのかな、準備中のレストランはいつ開業するのかな、と見る者は期待しますが、結局店は開業しないまま最終話までたどりつきます。サクセスストーリーとは正反対のモラトリアムストーリー。
店主(大泉洋)を始め、やってくるお客(登場人物)すべてが人生の「準備中」なのです。
何かをどこかで決定しないまま人生の時間が過ぎていった人、あるいは突っ走ってきた人生の途中で一休みの人、などなど。しかし、誰ひとりとして憎めません。
そうした人たちをウエルカムではないけれど、なんとなく迎え入れてしまうのが、店主の人柄と言えましょう。店主は、波のように何でも包み込んで浄化してしまうような寛容さを秘めているのですが、実は彼自身も過去に傷を負っている・・・(ここがちょっとばかりドラマにはありがちな設定なのですが)
「準備中」だからこそ、何をしても許されるような店の居心地の良さは、所詮身の回りに起こるすべてのことは大騒ぎするほどのたいしたことではない、と思わせるような不思議な包容力をもっています。体ではなく心の傷を癒す湯治場のようです。
人生あくせくしても仕方がない。今日も、明日もずっと準備中でもいいのかも・・・。

おもしろいかおもしろくないか、感じ方はまさに今まで歩んできたその人の人生観しだい。
・・・ですので、決してお勧めはいたしません。



宮崎 桂(関東地区)




the波乗りレストラン(TVドラマ全33話 映画ではありません)

2008年
日テレ開局55年記念+サザンオールスターズ結成30周年記念のスペシャルTVドラマ。DVDあり。
脚本:大宮エリー
出演:大泉洋、布施博、富田靖子、西村雅彦、高橋ひとみ、松下由樹、白石美帆他
http://www.ntv.co.jp/naminori/
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by sda-cinema-p | 2010-05-06 14:15 | essey